2010年08月24日

グッデイ・グッバイ

HMV渋谷店が閉店しました。
僕のHMVデビューは、渋谷店がまだセンター街のいちばん奥まった所にあった頃。
当時の僕は小沢健二やコーネリアス、二人がやっていたフリッパーズ・ギターの影響を絶大に受け始めた頃で、音楽の趣味や購入するCDの数が爆発的に増えていて、
あの頃のHMV渋谷店はそんな僕の格好の学習の場でした。

CDのディスプレイからして他の店とはひと味もふた味も違っていて、
この店独自のディスプレイ展開は見て回るだけで楽しめたものです。
いわゆる売れているミュージシャンや大型新人的なミュージシャンばかりをプッシュするのではなく、バイヤーが自身の感性に従って、たとえ無名の存在であっても「こいつらはスゴイ!」と全面的にプッシュする。
気合いの入り過ぎた手書きPOPやディスプレイ展開が楽しすぎた店でした。
サニーデイ・サービスやキリンジを初めて購入したのもこの店。
そういえばCDのバイヤーという存在を知ったのもこの店が最初でした。

ここと同じくらい通ったWAVEクアトロ店、それにWAVEロフト店、周辺の小さなレコ屋、CDショップを巡る時間は、当時の僕にとってこの上ない幸せな時間でした(当時はあまりタワーレコードには行っていませんでした)。
渋谷と、渋谷の宇田川町周辺は間違いなく僕の音楽的感性を育てた場のひとつでした。

センター街の入り口に移転してからは、
なんだか普通のCDショップになってしまったな…と感じられてならず
徐々に足が遠のいてしまい、最近もしばらく行っていません。
それはHMV的な品揃えが「渋谷系」を経て遍在化し、HMV渋谷店が「特別な場」ではなくなってしまったという事もあるかもしれません。
「ここだから会える音楽」がなくなってしまったというのは
便利になった反面、出会えることの喜びを失ってしまった気がして
なんとも複雑な気分になったものです。

それでも僕にとってHMV渋谷店が、何かを象徴する存在であったことは間違いなく、
今回の閉店には寂しさを禁じ得ません。

HMV渋谷店。あなたには本当にたくさんの事を教えてもらった。
音楽の楽しみ、掘り下げることの興奮、広げてゆくことの愉悦…。
ありがとう。
あなたがいたから、今の僕がいる。
タグ:HMV
posted by キョー at 01:14 | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月16日

Crossing Borders

『フローズンリバー』鑑賞。

こういうのを「映画」って言うんじゃないですかね?
オープニングのカットひとつで主人公の女性の来歴を饒舌に語り、ラストで、それまで壊れて動かなかった、古びた回転木馬を動き出させる事で何かが動き出した事を象徴させる。

いわゆる「ホワイトトラッシュ」「レッドネック」などと言われる白人貧困層。それとマイノリティとしての先住民族。そこにシングルマザーという問題も絡み、まるで出口の見えない二人の女性の生活。
二人がそれぞれ子どもたちと住む家は、当然オンボロのトレーラーハウス。
白人女性のレイは日々をなんとかしのぐ為、また待望の新居を手に入れるために1ドルショップで働くが、夫が金を持って失踪。
少数民族の女性ライラもやはり日々をしのぐ為、また、夫を亡くし、義理の母に奪われた息子の元に金を送る為に働くが、それでは足りず、密入国を助けるという犯罪に手を染めていた。
やがてレイもライラと共に犯罪行為に浸かってゆく。

このあたりの描写はひたすら息苦しく、なんとか生きてゆく為に犯罪に手を出してもこりゃ仕方ないと思ってしまうほど。
それほどに二人からは明日が見えない。
レイは確かに新居を手に入れたいのだが、途中映し出される住宅パンフで「夢の生活」というようなキャッチコピーが施されたその家もまたトレーラーハウスなのだ…。

アメリカとカナダの国境を流れる川。凍てついたその川の上を車で行き来しながら密入国の手助けをする二人。
あやうい綱渡りの上でようやく成立するそれぞれの生活。

やがて氷が音を立てて割れ、車を呑み込んだとき、二人の凍てついた心も溶け、わずかな希望の光が差し込みます。
それは何も二人の経済的な問題が解決したとかそういう事ではない。苦しい生活はこれからも続く。
それでも二人の心を溶かしたのは、人と触れ合うことの温もりではなかったか。
こう書くとありがちな陳腐な結末と思われるでしょうが、それほど二人は孤立し、孤独だったのだ。
そしてそれは現代の日本人にとっても決して他人事ではないでしょう。
違法に国境を越えていた二人は、やがて人種を超え、それぞれが抱える事情を超え、孤立を超えていった…。
傑作です。

posted by キョー at 01:09 | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月11日

Dream on

至る所で絶賛されている『インセプション』観て来ました。

感想はというと、もうこれはねぇ、僕が睡眠不足で観に行ったのがそもそも悪かったのか、なにしろ乗れませんでした!

まず、そもそもの夢に侵入するとか共有するとか、植え付けるとか、そういうそもそものシステム・世界観がまったく頭に入ってこない!

そこに色々と細々としたルールがあって、そういうのが説明される度に「あ〜」「う〜」と頭の中で整理しようと思うんだけど、あ〜もう面倒くせぇ〜と最初から躓いてしまいました…。

でも、この時点ではまだ起きてた。

その後、設計士の普通の女子大生が違法行為、危険な行為に手を染めようと決意するのにあまりに葛藤がなさ過ぎじゃん?とか、渡辺謙演じる大企業のトップがターゲットであるライバル企業の御曹司
と飛行機の機内で接近遭遇する場面があるんだけど、ターゲットが同じ業界内のライバルの顔を知らない(気づかない)なんて事があるんだろうか?夢に侵入されるのを阻止するために、あれだけの防御線を張っているんだから、余計に顔を知らない(気づかない)事が不自然に感じるよね、とか色々と引っかかる所があって…。

でも、ホント寝不足だったんです。確かに起きてはいたけど、相当ウトウトしていたのも事実なので、もしかしたらかなり的外れな事、勘違いを書いていたら本当に申し訳ない。

ただこういう引っかかりを積み重ねる事によって、僕はいよいよ本格的な睡魔に引きずり込まれ、ハッと目が覚めること十数回。
ここで今度はいくら目が覚めても、睡眠に陥る前からたいして話しや場面が展開していないように思えるという新たな問題が発生。

こういう時の睡眠は、自分が思っているより時間の経過が遅い(おー、リアルインセプション!)訳だけど、それにしたって何度起きても、同じような場面が延々と続いているという現実に僕の精神は消耗。
自分が馴染めない世界で、自分が理解できないルールで、登場人物たちがあーでもない、こーでもないとウダウダやってる姿を見る時、人は「どーでもいいわ!」と椅子を蹴りたくなる衝動にかられる訳ですが、この時の僕はまさにそうで、睡魔とイライラで大変な状況。「早く終わってくんねぇかなぁ」と眠たい頭で呪詛を吐く始末。
始まる前から長いのは分かっていたけれど、こんなに長くしなきゃならない話しかねと、まぁでも寝てた奴の言うことじゃないですね…。

でもやっぱり寝不足で行ったのが最大の過ちだったのかもしれません。
だからと言って、じゃあ今度は万全のコンディションで…!とは今のところ思えない訳ですが、それでもいつかはちゃんと見直さないといけないのかもしれません。


posted by キョー at 21:54 | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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