2009年04月22日

Every Picture Tells A Story

和歌山毒物カレー事件で、被告人の上告が最高裁で棄却されましたね。
直接的な物証が全くないにも関わらず
よく死刑にできるもんだなと感心します。

テレビの報道では事件発生当時、繰り返し放送された、
被告人がマスコミに対しホースで水を撒く姿が、
再び流されています。

それだけでも被告人の「醜悪さ」を演出するメディア側の「意図」を感じざるを得ないわけなのだけど、
もうひとつ気づいたのが被告人の顔のアップがあまりに多いことです。

道を歩く被告人をマスコミが必死に追いかけ、
結果、顔のアップが多くなるというならまだ解らないでもありません。
(当然まだ「怪しい人」という段階で、その人をカメラで追いかけ回すという問題は当然あります)
しかし、それだけでなく、例えば庭先に出て自宅を取り囲むマスコミを見渡す被告人の姿。
それをググッとアップで寄るテレビカメラ。
ここまでアップにする必要性がどこにあるのか?というくらい大映しになる被告人の顔。

そこに映るのは、被告人のシワ、シミ、脂、頬からアゴにかけてでっぷりと付いた肉、
そして、それらに囲まれた被告人のニヤけた口元や目。

これは中年女性差別だと思ってほしくないのですが、
見も知らぬ、別に好意を持ってもいない中年女性の顔がテレビ画面に入り切らないくらい大映しにされて、喜ぶ人はそうは多くないでしょう。

すなわちこのような絵の切り取り方ひとつ取っても、
メディアが意識的あるいは無意識的に世間の「悪意」の醸成に加担していると言っていい。

ニュースでは一応「物的証拠がない。容疑も否認している」と報道はします。
しかし、カメラの切り取る絵の力が、それらの事実を全てチャラにしてしまう。
「うわぁ…」という感情がいわば目隠しの役目を果たしてしまっている。

ここまで読んでいただいた方、
「いや、そうは言うけど、オマエだってそうなんだろう?」とお思いの方も当然いらっしゃるでしょう。

そうです。

だからこそ怖い。

本来であれば、ホースの水まきも、シワも脂も肉も事件とはいっさい関係がないはずです。
被告人が当時、ヒ素を所有していたとしても、それがただちに「殺人犯である」ということには結びつかないし、
「鍋の前に1人で立ってた」とか「鍋のフタをあけてた」という目撃証言も、被告人は鍋の見張り役だったのだから、「そういう事はあるでしょう」という視点だって当然あっていいはずです。

そういう事柄を「でっぷりしたおばさんがニヤニヤしながら報道陣に向って水を撒いている」という「不快」な絵が帳消しにしてしまうという怖さ。

僕は何も彼女が100%犯人ではないと言っているわけではありません。
でも逆に言えば100%犯人であるとも言えない筈です。
そういう対象の人物に「死刑」を言い渡す日本という国家。

テレビのコメンテーターも前述の「物証なし、否認」を口にはしながらも、「まぁねぇ…」と奥歯にモノのはさまったような言い方ばかり。
あげく「これから始まる裁判員制度に向けて難しい課題が…」とか、まぁそれも確かにあるけど、まずそこじゃねぇだろうよ…。
犯人ではない「かもしれない」人が国家によって殺されようとしていると言うのにさぁ。





posted by キョー at 23:35 | TrackBack(1) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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和歌山毒物カレー事件
Excerpt: 和歌山毒物カレー事件和歌山毒物カレー事件この事件で林被告の死刑が確定しましたが、動機がまだ解明されていません。もし、林被告が本当に犯人であれば、なにが動機だったんでしょうか? 近隣住民との確執があ..
Weblog: 絶妙な芸能ニュース速報
Tracked: 2009-04-23 06:09
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