2012年11月11日

ホラー映画ベストテン

放置しっぱなしの当ブログ、久々の更新は
ホラー映画ベストテン!
という事で『男の魂に火をつけろ!』さんの毎年恒例の映画ベストテン企画に初めて参加させていただきます!

僕は怖い話や怪談は大好きで、ホラー映画もそれなりに好きでよく観ます。
でもホラー映画を劇場で観るのは本当にムリで
それはなにしろ「逃げ場」がない、ということに尽きます。
『13日の金曜日』の洗礼を幼い頃に受けて以来、
劇場で観たホラー映画は思い出せるだけで3本…。
なので今回のベストテンもほぼビデオで観たものです。
そんなヘタレ野郎のホラー映画ベストテン。
しばしお付き合いのほどを。


第10位 『シックスセンス』

いわゆるドガジャーン!キャァァァァ!!っていうだけじゃないホラー映画がアメリカにもあるんだ!と初めて知った映画。とかくラストのドンデン返しが話題になりがちですが(アレ、途中で読めたよって言うヤツとは友だちになれません)、それより全編にわたり漂うイヤーな感じにやられました。

第9位 『呪怨』(ビデオオリジナル版)

これ今でこそネタとして消費され尽くしてるし、「いやあれギャグだよね」なんてしたり顔で言う映画バカもいるけど、いやいやいやいや!恐いだろ!!少なくとも発表当時は周りはみんな「こえぇぇ〜」って言ってた。みんな、あの頃を思い出せ!!

第8位 『シャイニング』

あの山奥のだだっ広いホテルに3人しかいないってだけでも恐いのに、「いや、他にも誰かいるんじゃね?」っていうあの感じね。イヤだね〜。ホテルの内装もキレイなんだけど何だか禍々しいっていうあの感じもね。イヤだね〜。

第7位 『エイリアン』

SF映画としてもホラー映画としても金字塔と呼ぶべき傑作ですね!体の中から「ピギィィィィィィ!」は幼い僕にトラウマを植え付けました。

第6位 『ザ・フライ』

僕のトラウマ映画のひとつ。中学生の時に観て以来一度も観返せていないという、ある意味では1位にしてもいいくらいの作品です。とにかくグチャグチャ、ヌチャヌチャだった記憶が…。あと主人公の顔が最初からハエっぽいのも高ポイント!(失礼すぎる!)

第5位 『CURE』

これはねぇ、元旦に友だちの家から帰ってくる途中で新宿の映画館にブラーッと入って観たんですよ。本当にたまたま観たんだけど、そしたらすげぇ傑作で。なんだこりゃぁっていうくらい衝撃を受けて。たぶん今まで劇場で観た中で衝撃度っていう点で言えばナンバーワンていうくらい大好きで。まぁ予備知識もまったく無かったですからね。で、これをホラーと言えるのかというのは議論があるとは思うけど、恐いでしょ!!映画全体の雰囲気、あの昔の映像。いちいちイヤーなあの感じ。あーやだやだやだ!と思いながら観た作品です。これをきっかけに黒沢清、及び黒沢周辺の邦画も追っかけ始めたのでした。

第4位 『遊星からの物体X』

これも僕のトラウマ映画。つい最近25年ぶりぐらいに観直しなんとかトラウマを克服しましたが、あのグチャグチャ・ビチャビチャ加減は幼い僕に深い傷を残すのはそりゃ当たり前だとつくづく思いましたよ。

第3位 『リング』

これも『呪怨』とおなじくキャラとしてもネタとしても消費し尽くされてる感があり、今となっては過小評価されがちだったりもするけど、それ間違ってるよ!みんなラストの貞子でビビリまくった自分を否定したくて虚勢張ってるだけだよ!『リング』は実際に劇場で観た数少ないホラー映画の一本。「逃げ場がない」って言葉はこの映画のためにあると言っても過言じゃないでしょう。これも全体の雰囲気、ビデオ映像のイヤーな感じが最高です。「ドガジャーン!」「キャァァァァ!」だけがホラーではないという事を知ることができたという点でもエポックな作品です。

第2位 『女優霊』

これは『リング』を観たあとに「日本のホラーすげぇぇ!」ってなってレンタルビデオ店で見つけた一本。「すげぇモノを見つけた!」と衝撃を受けたのを今でも憶えています。こんなすげぇの作ったの誰だ?!ってパッケージ見たら『リング』と同じ中田英夫なんですねぇ〜。脚本も同じ高橋洋だと知るのははるか後のこと。昔のフィルム映像、女優の死に様、ボヤ〜っとした灯りの揺らめきや、全体に淡い感じのトーンまで、これほどイヤーな感じを味わえる作品は今のところないです。

第1位 『悪魔のいけにえ』

そして第1位はトビー・フーパーの『悪魔のいけにえ』です!これ、ただ恐いってだけじゃなくて、これ作った奴リアルに狂ってるんじゃないかっていうイヤーな感じね。車椅子の彼がコロコロ転げ落ちる場面なんて最悪だよね!うわー、やだやだやだ!この作者おかしいよ!っていう。でも狂ってる感がある割にはお話し自体は面白いんだよねぇ!狂気とポピュラリティが奇跡的なバランスで両立してるという希有な作品で、第1位に選びました!


という事で、改めてホラーベストテンを考えると「そもそもホラーってなに?」「これってホラー枠に入れていいのかなぁ」などと考えざるを得なかったのですが、まぁそういう難しい事はよく分からないので、とにかく「恐い!」と感じたものだったらホラーでいいや!という投げやり感もありつつ頑張って考えましたよ!
概観すると僕が恐怖を感じるのは「なんか雰囲気がヤダ」「体の中から何かあり得ないものが出てくるのがヤダ」というのが大きいんですね。ジェイソンでホラー映画の世界に足を踏み込んだ僕ですが、その名残はもはやあまりないなぁ…と。

ランク外の作品としては『ミスト』『REC』『回路』『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』『鬼畜大宴会』『八つ墓村』(1977年版)などなど。特に『ミスト』『REC』は最後までなんとかベストテンに入らないかな〜と四苦八苦したのですが、仕方ないですね。

ということで皆さんもぜひ考えてみてくださーい。
ラベル:映画
posted by キョー at 18:33 | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月04日

トラヴィス・イズ・バック、或いは暴力の向こう側。スーパー!

『スーパー!』観ました!(シアターN渋谷)

結論から言ってしまいますと、
傑作!みんな観ろ!

序盤は主人公オヤジのマヌケっぷりをこれでもかって見せていきます。
人生であったたった二度の最高の瞬間を描き、壁に貼るオヤジ。
犯人を追う警官に「あっちです!」と教え、変に誇らしげなオヤジ。
敵役のクルマを人差し指でピトッと触るオヤジ。
キリスト教福音派ヒーローに感化されるオヤジ。
「自分は選ばれた人間である」という標語を部屋に貼るオヤジ。
待機するオヤジ。
ブリーフのオヤジ。
「それは反則!」と叫ぶオヤジ。

「こいつ、マヌケだなー」とゲラゲラ笑いながら観てました。
でも笑いながらも「実はそんなに自分と違わないんじゃ…」なんて事も思ったりして
心がチクチクしたりしてね!

でもそうやってゲラゲラ笑って観られるのも最初だけです。
「自分は選ばれた人間」のくだりで既に何か不穏な空気が漂ってはいたんだけど、
オヤジがどんどんサイコパス化してくというか、
『タクシードライバー』のトラヴィスそっくりになってくというか。
一応、オヤジは奥さんを取り戻す為に「悪を倒す正義のヒーロー」という設定を自分に課したはずなのに、
端から見たら「単なる殺人鬼じゃん!」ていうね。
僕自身、子どもの頃ウルトラマンや仮面ライダーを見ながら
「これ正義の味方っていうけどさー、悪者の方から見たら、自分らが正義で仮面ライダーが悪だよねー。」なんて言ってた、いけすかないガキだったので、こういう描写は大好物です!!

もう最後は韓国映画か!!ってくらいの描き方をしていてサイコーでした!

そうです。この映画はあの映画史に残る大傑作『キック・アス』ですら踏み込まなかった、
正義の名の下に振るわれる暴力の「その先」までをも描ききったのです。

で、僕はキック・アス評
「映画は最高だが、人を殺したオトシマエを描いていない。普通の人間が人殺しをしといて彼女とチューじゃ納得いかん!」と書いた訳ですが、
『スーパー!』はそれとは真反対の描写をしています。
一応、幸せになる人間も出てくるには出てくるけど、
それも監督の誠実さの現れでしょう。
だって「社会にとって悪の存在」が殺されたのですから、
それを背負いこんでしまう人間もいれば、同時に平穏を得られる人間もいるのは当然。
それを描いた上で監督は
「暴力、どうですか!!!!!?」とコチラ側に投げかけている。

僕は「暴力、ダメ、絶対」「戦争、アカン!」と最初から声高に叫んでる映画は好きではありません。
僕自身はそういう映画に対して「教科書を読んでるよう」という表現を使いますが、
そんな分かりきった事、教条的な事を叫ぶだけなら、映画を観に行く意味はない。

そうではなく、ある行為が引き起こす様々な事象を描いた上で、
「ほら、どうだ!」とこちら側の価値観を揺さぶってくる映画こそが映画であり、
映画を観に行く価値があるのだと思っています。

総合的に『キック・アス』より上とまでは言わないけど、
エンターテイメントとしても充分以上に面白いし、
『キック・アス』のその先にまで踏み込んだという点で、
僕にとって『スーパー!』は『キック・アス』よりある意味では上。
生涯ベスト級と言ってもいいくらいの映画でした!




posted by キョー at 06:59 | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月05日

どういうつもりだ!ブルーバレンタイン!!

ブルーバレンタイン観ました!(新宿バルト9)

いやーー、痛かった…。
ある夫婦の出会いの瞬間と別れの瞬間を交互に映してゆく作品。

あのーー、僕は30代未婚男なので観る前はあまり入り込めないんじゃないか…
なんて思ってたのです。
町山智浩氏が大プッシュしてるので気にはなるのですが、
「あんま関係ねーかなー」という感じで正直観るつもりもありませんでした。
で、ウィークエンドシャッフル、シネマハスラーでの宇多丸評を聴いてようやく重い腰をあげたというのが実情。

でねー、本当にそれぞれが置かれている立場によって感想はそれこそ十人十色だと思うんです。
で、僕の率直な感想は「ほれ見ろ!やっぱ結婚なんてするもんじゃねぇ」でした。
いくら互いの気持ちが燃え上がって何をしていても幸せな時があっても
それはいつか絶対に消えるし、
この映画のように離婚までは行かなかったとしても、
相手のとる行動がいちいち気に障ってムカついて、
また、一方はそんな相手の気持ちをなんとかつなぎ止めようとするけど、
思うようにならず…なんて例はいくらでもあるじゃないですか。
あるんですよね?

あるんでしょ?

色々聞いてますよ!?

もうこちらとしては「ほーれみろー」ですよ!

でね、宇多丸氏は花火に2人の過去が浮かび上がるという場面を指し
「それでも誰かを愛することは素晴らしいことだと表現している」
というような事をおっしゃっていましたが、
僕から見たら
「どんなに美しいものも、いつかは消える。儚いものなんだ」
と表現しているとしか思えませんでしたよ!

でですね、バルト9からの帰り道、
ウィークエンドシャッフルの放課後ポッドキャストを聴きながら帰ったのですが、
そこで実は主人公のディーン(旦那)ってオレそっくりなんじゃないか…と思い至り
そっからは地獄ですよ!

ディーンは音楽の才能なんかはあるんだけど、
その道には進まず
楽な仕事をし、言い訳を並べながら
「まぁあくせくしないで、のんびり楽しく生きるのがいちばんでしょ」
という感じで生きている男。
まぁ音楽の才能とは言ってもウクレレ弾きながら歌えるってくらいなもんなんですがね。

で、僕の場合も20代前半は就職もせずフリーターやりながらバンド活動にあけくれ、
後半になってもやはりフリーターで
でもバンドはもうやってなくて「いやーー、今音楽の方向性を模索中なんだよねーー」なんつって、でも実は模索なんて全然してなくて
このままダラダラと生きていたくて…。

これってディーンとどれだけ違うんだよおぉぉ!

で、そんなディーンを放課後ポッドキャストのヤローども
「幼稚な男」だとか「努力してるならまだしも…」だとかのたまってる訳ですよ!
さらにリスナーの30代のスケ
「若い頃は夢を追っているクリエイタータイプの男が好きだったけど、
やっぱり結婚するなら社会に順応していて生活費もきちんと稼ぐ男がいいと今は思う」
とかいう愚にもつかないメールを寄越しやがったりね。

わかってるよ!もうっ!!

今は僕もなんとか無事に就職しまして、
少ないながらも毎月安定した稼ぎを得ているわけですが、

よかったぁぁ!あの頃結婚しなくて!!

あぶねーあぶねー。

「こんなオレを受け入れてくれる可愛こちゃんがきっとどこかにいるはず」
なんて夢を見ていたり、
あぶねー。ディーンみたいになるところだったよーー。

といった具合に、冗談を絡めてナニカを直視することを避けてるのがバレバレですが、
いや、ホントにいてぇよ?
冗談絡めないと胸がズキンズキンしまくりですよ。

そんなナニカを直視する勇気がある方は是非観に行かれるのがいいと思います!
ほんと鬼畜の所業だわ、この映画…。
posted by キョー at 22:22 | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月03日

ぼくらが旅に出る理由!その街のこども 劇場版!!

『その街のこども 劇場版』観ました。(川越スカラ座)

公開当時は近くでやってなくて時間帯も合わず、泣く泣く断念したのですが、
このたび川越スカラ座で上映が始まったということで、
川越スカラ座えらい!!

はからずも3月11日の大震災を経ての鑑賞となったわけですが
あのような大震災の直後だからこそ、また違った考え方捉え方ができるのかなという気持ちもありつつ鑑賞しました。

もう結論から先に言っちゃいますが、
大傑作ですよ!これ!
今年ベストどころか、生涯ベスト級でした!!

子どもの頃、神戸の震災を経験した男女2人が
10数年ぶりに神戸に帰ってきて
夜の神戸の街を歩きながら改めて震災と、それがもたらした理不尽に向き合うという内容で、
こういう内容であれば、いくらでもウエットにというか、
ドラマチックに描けたと思うんです。
例えば、亡くなった友人の名前を叫びながら慟哭するとか、
「お互いにこの不幸を乗り越えていこう!」と力強く励まし合ったりとかね。
凡百の日本映画監督・脚本家なら間違いなくそうするでしょう。
そうする方がはるかに簡単ですから。
おそらくテンプレ的なものがあるんでしょうな、と皮肉を言いたくなる程
日本映画にはそういうモノが溢れています。

しかし、この映画はそういう安易な描き方はしなかった。
淡々としたタッチで2人がそれぞれのやり方で震災に向き合う姿を描いていました。

「淡々と…」というのは人物描写にも表れています。
普通であれば主人公2人はいわゆる「心に傷を抱えているけど、いい人」として描かれるでしょう。
もっと言えば観客が「かわいそう…」と思えるように描かれるでしょう。

しかし、実際の主人公2人は決して「いい人」とは描かれていません。
森山未來は素直じゃなくて露悪的な感じが出ていましたし、
佐藤江梨子の方は自分勝手で自由奔放な女性として描かれていました。

でもそれが決してイヤなヤツというわけではなく、
誰にだってあると思うんですよ。
実際人間には色々な面がある。
100%完璧な人間なんていない訳です。
誰にだってプラスの面もあればマイナスもある。
そしてプラス/マイナスは受け取る側の人間によって変わってくるわけです。
そういうどこにでもいる人間としてきちんと描ききっていたと思います。

要は型にハメていないんですよ。

で、型にハメないという事で言えば
最後、2人がどう震災と向き合うかというシーンで
2人がそれぞれ別の選択をしたこと。
森山未來が一見「逃げ」とも言える選択をし、
佐藤江梨子はそれを受け入れるのですが、
これは観る人の中には「えぇ〜!!?」と思う人もいるでしょう。

しかし、僕はそうは思いませんでした。
むしろ「頼むからこのまま終わってくれ!」と強く念じていました。
実際その通り終わってくれて
僕としてはこの時点で「神映画だ!」と拍手喝采だった訳ですが、
ではどうしてあのラストを支持するのか。
それはやはり「型にハメない」という事なんです。
震災への向き合い方を紋切り型に描かず、
それぞれのやり方、それぞれのペースでいいじゃないかと描いたことに
僕は作り手の真摯さを見たのです。

2人そろって震災に向き合えて乗り越える事ができて
あーよかったね、と描く事はとても簡単で誰でもそう描こうとするでしょう。
でもそれって考えてみれば傲慢ですよね。
実際に被災された方々の気持ちはきっと僕には想像も及ばないほどだと思うし、
また被災された程度によって微妙に濃淡があるんじゃないでしょうか。

それは今回『その街のこども 劇場版』を観て
恥ずかしながら初めて思い至ったことなのですが、
それを単純に分かりやすく描くってやっぱり傲慢ですよ。
それを作り手側は主人公2人に真摯に投影したのだと思いました。

あと、主人公2人がその道行きの始めから
「歩く/歩けない」「タクシーに乗る/乗らないで歩く」というやり取りを何度も繰り返すのが僕はこれが気になってて、これってなんだろうと映画が終わってからもずっと考えていたのですが、
これもやっぱり「震災にどう向き合うか」って事ですよね。
この偶然の道行きの過程で2人は震災に向き合い、
また向き合うきっかけ(たとえそれがまだおぼろげであったとしても)を得る訳です。
それって2人が再びまたここへ帰ってくるまでに要した「10数年」という長い期間の投影であり、
また近道なんてない、イージーな方法なんてないんだというイメージの投影なんですね。
どれくらい時間がかかるかはそれぞれ違うけど、自分の足で歩いていくしかないという。

だからこそ、佐藤江梨子が10数年ぶりに肩の荷をおろしたあとに
2人が走り出した場面は感動的なわけです。

そしてその場面に繋がるマンションのシーン。
僕は久しぶりに映画館で号泣しましたよ!
震災で亡くなった親友の、その父親を訪ねる場面なのですが、
ここでもまた型にハメない演出が。

佐藤江梨子がマンションのチャイムを押して「美夏です」と言うのですが、
普通だったら父親は「美夏ちゃん?ほんとにあの美夏ちゃんなのかい!!?今すぐ開けるから!」とエモーショナルに描かれるでしょう。

しかし、「あ、今あけます」と父親の反応はいたって平坦…。
一瞬、観ている方としては「え?!大丈夫か?」と不穏な空気すら感じるのですが、
しかし、その瞬間まさに父親が亡くした家族の喪に服していて
その気持ちを引きずったまま玄関に出てきたのだと考えれば、
そしてその後2人きりで死者の思い出や今の境遇を共有する時間を持てたのだと考えればこそ、その後の手を振るシーンに涙できるのです!

そして佐藤江梨子のそばには森山未來がいて
「おじちゃんに泣き顔なんか見せられない」と手を振れなかった佐藤江梨子の背中を押すように、一緒に手を振っている。
それぞれがそれぞれを支え合って、まさに今を生きている!
大きく、大きく手を振りながら!
なんという名場面!


という訳でですね、
冒頭でも申し上げました通り、大・大・大傑作ですので
まだ未見の方は、地方でもいくつか公開している様子ですので
万難を排して観に行かれることをおススメいたします!







posted by キョー at 20:45 | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月19日

ミニスカ美少女は革命の夢を見るか?エンジェル・ウォーズ!

エンジェル・ウォーズ観ました!(ユナイテッドシネマ入間)

精神病院に放り込まれたセーラー服姿だったりボンテージ姿だったりの美少女たちが、
日本刀やピストル、マシンガン、パワードスーツ、そして妄想力を武器にして、巨大なサムライやナチのゾンビ兵士、ドラゴンとかと戦いながら自由を勝ち取ろうとする物語。

いや、こう書くと頭悪い感じが改めてプンプンして非常にイイ感じですが、実際頭悪いです!中学生男子が書いた「オレなりのインセプション」というフレーズが鑑賞中に頭をよぎったりして、イイヨイイヨーと思いながら観ることができました。

ストーリー見ただけで一目瞭然ですが、話自体は確かに荒唐無稽だし、バカバカしいのも分かります。妄想世界に入った途端に置いてけぼりになる感じも分かる。
これが例えば映画史に残る傑作かと問われればそうではないでしょう。

それでも僕は言わざるを得ない。「この映画が好きだ」と!
なぜか?

それはガトリングガンを持っているでっかいサムライがかっこよかったからです!
塹壕の上にいっぱい浮かんでいる飛行船とその間を縫うように飛ぶプロペラ機がかっこよかったからです!
ロリポップをほおばりながらたたかうおんなのこもかわいかったです!
おしろのうえをとぶひこうきもかっこよかったです!


色々理屈をつけようかとも思ったが、結局はそういうことなのだ!

そして幼き日々から妄想を駆使しながら現実から逃避しつづけ、同時にいまだ現役中二病患者であり終わらない思春期まっただ中の僕としては、
その妄想を駆使しながら現実を変えようとするベイビードールにシンパシーを感じると同時に勇気をもらったのでした。

まぁでも、その妄想を駆使して云々というのも最後には「んんー…」てなるんですけどね。
ベイビードールは確かに「自由」を手にしたかもしれないけど、そして仲間も自由にしたかもしれないけど、「んんー…」ていう余韻。
でもこの余韻もまた僕には心地よいというか、ストーリー的には決して心地よくはないんだけど、映画的に心地よいものでした。

という訳なので、未だに妄想力には自信がある!という大人のみなさんは是非観に行かれるのがいいと思います!
posted by キョー at 20:51 | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月09日

愛しさと切なさと馬鹿野郎共と。トゥルー・グリット!

トゥルー・グリット観ました!
(シネプレックスわかば)

映画『3時10分、決断のとき』、ゲーム『RED DEAD REDEMPTION』を通じて、僕の中で今まで全く興味の対象外だった「西部劇」というものが俄然盛り上がってきたのが去年のこと。そしていよいよコーエン兄弟が西部劇を撮るということで随分前から楽しみにしていた『トゥルー・グリット』。
なんというか、「これは大傑作だ!」と声を大にして言う感じではないんだけれど、しみじみと「いい映画だなーー」と感じました。

ストーリーとしては、父親を殺された娘マティが、保安官コグバーン、テキサスレンジャーであるラビーフの力を借り復讐の為の旅に出るというものです。

しかしこの保安官というのが、凄腕らしいのだけどとにかく飲んだくれ。テキサスレンジャーもプライドは高いんだけど、そのプライドの高さをマティに鼻で笑われるという体たらく。(テキサスレンジャーのバッジをマティに見せつける時の表情、その素晴らしいほどのしょうもなさが最高!)
時代設定としては西部開拓時代の終わりなんだけど、この二人はいまだに「西部の男」という失われつつあるステータスに拘泥し、そんな二人と新時代を象徴する存在でもあるマティ(その商談の巧みさは、近代資本主義社会の到来を想像させる)が織り成す旅物語なわけです。
で、本当にしょうもなくてキマんない二人で、しかも何かと言えば口喧嘩ばかりしてる二人なわけですよ。マティさん、これは完全に人選間違えましたねって感じなわけですよ。そんなしょうもなさがさんざん描写されるわけですが、そんな二人がクライマックスに見せる「西部の男」たる所以。そしてその後、マティのためにとる行動こそトゥルー・グリット!!(真の勇者、真の勇気!!)

※ここから若干ネタバレです。





まぁ、ここまでは色々な方が触れているわけです。でも僕が真にグッときたのが、その場面で過ぎ去る風景、もっと言えば人物の描写でした。
コグバーンがマティを馬に乗せて疾走する。そしてまずはラビーフ、それから荒野に倒れる悪党たち。登場した人々が一人また一人と舞台から去ってゆきます。馬まで退場し、遂にはコグバーンまで…。マティの命がなんとか繋がれるのと引き換えられるかのように、古き時代から新しい時代へとバトンが繋がれるかのように、荒野の向こうへ立ち去って行きます。今時、荒野で鉄砲バンバン撃ち合って命を取って取られて、新時代はもう目の前に来ているのに、まぁバカですよ!でもコーエン兄弟は(特に悪党たちが倒れているシーンに強く感じたことですが)それを愛情というか、哀惜というか、そういう感情とともに描くわけです。そりゃあグッときますよ!
まぁでもコーエン兄弟ですから、僕が勘違いしている可能性も十分あるわけですが。

あと、マティが父親が遺した銃や帽子、コートをまとって旅に出るという設定もいい!なんとなくですが同じコーエン兄弟の傑作『ノー・カントリー』の父親の松明のエピソードを感じさせて、これもグッときました。

最初に書いた通り、個人的には「大傑作」とも違うのですが、折りをみて何度も何度も見返したくなるような作品だと思います!
もう一回『RED DEAD REDEMPTION』やろうかな。
posted by キョー at 23:04 | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月11日

村田にヤラレろ!冷たい熱帯魚

園子温監督作『冷たい熱帯魚』観ました!
(テアトル新宿)

ここ何年もの間、お隣韓国の犯罪/ヴァイオレンス映画のあまりのハイアベレージっぷりを指をくわえて羨ましがるしかない状況が続いていましたが、
ついに日本映画は最狂の犯罪/ヴァイオレンスムービーを獲得しました!

いや去年も日本には『十三人の刺客』『ヒーローショー』『告白』という
「どーかしてる!」という振り切れた作品があり(それより前には『実録連合赤軍』)、
そのどれも僕は大好きなのですが
本作『冷たい熱帯魚』はそのどれもを凌駕する新たな金字塔でしょう。
(そしてそれは臓物でデコレーションされている!)

なんといってもでんでんですよ。
あんなにパワフルで、人生を楽しんでいるように見えて、やたらと包容力もある人物が身近に現れたら、簡単に騙される自信が僕にはあります!
だからこそ吹越満演じる社本があれよあれよという間に殺人に巻き込まれ、脅され、さらなる殺人に手を貸さざるを得ない状況に追い込まれる様を見て、
僕は怖くて仕方なかったです。

いや「騙す」って書いたけど
でんでん演じる村田としては「騙す」という感覚は全くないのでしょう。
自分の欲望にあまりに忠実であるが故に
他人を巻き込みもするし、
あまりに忠実であるが故に他人を排除もする。

「良心の呵責」なんてものはない。
そこには「なんてことはない殺人(或いは暴力)」と
「作業としての人体解体」があるだけ。

まったく日本映画はなんというモンスターを獲得したのでしょう!
去年『十三人の刺客』において松平斉韶という悪役が出現したばかりなのに
現代日本において『ダークナイト』のジョーカーをも軽く凌ぐ希代のモンスターが連続して現れるなんて!

どうしてここまで倫理を喪失できるのか。
その村田のルーツは父親との関係にあるという事が描かれる。
村田は父親によってその獣性を覚醒され、
そして村田の周りの人間は、村田によって暴力性や残忍さを暴かれる。
(その究極が社本の娘でしょう)
このあたりは黒沢清監督の傑作『CURE』を思い出したりしました。

さて、この映画は確かにひどいです。
人の「死」をどこまでも美しく描き、
夫が死んだり、妻が死んだり、犬が死んだり、ライバルが死んだと言っては「なんとかぁぁぁ!」と泣き叫ぶ映画ではありません。
スクリーンは血とおっぱいと臓物で塗りたくられ、
思わず口元を手でおさえたくなるほど「ヒドい」映画です。

血やおっぱいや臓物だけではない。
「感情」という名の衣服を剥ぎ取られ、陵辱され続ける2時間半。

だからこそ自分のことを「善良な人間」「健全な人間」と思って疑わない人にこそ観てほしい。
村田はあなたの衣服を剥ぎ取り、縛り上げ、あなたの恥部を覗き見るだろう。
事が終わった後、あなたは何を思うのか。

僕は思った。
「生きたい!」と。
「あらゆる暴力はやっぱりろくなもんじゃねぇ」と。
「人間はいとも簡単にダークサイドに堕ちるものなのだな」と。
「でもやっぱりおっぱいの魅力には抗えない」と。

血で塗りたくられた映画が、
実は暴力からいちばん遠く離れた場所へと僕を連れてってくれるという事実。
価値観を揺さぶられ、
ゲロにまみれながらも導き出された結論と新たな思考の可能性。

それこそが『冷たい熱帯魚』がくれた最高の映画体験。
刮目して見よ!

posted by キョー at 19:22 | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月22日

悲しいラブレター、ソーシャルネットワーク

早くも本年ベストの呼び声高い『ソーシャルネットワーク』観ました!
(シネプレックスわかば)

事前の情報では「Facebookを立ち上げ、今や最年少億万長者として世界にその名を轟かせるマーク・ザッカーバーグが実はいかにイヤなヤツか」という映画だという話しを聞いていたのですが。

いや、僕は世に言われる若きIT長者とかいう人種が嫌いで嫌いで仕方ないのです。ヤツラはおしなべて冷笑的であり、過度に競争主義的であり、勝利至上主義的であり、効率主義的であります。そしてあまりにそういった傾向が強いため、人情とか、それに付随する様々な感情や行動といった人間が避けて通れない部分を「余計なもの」として切り捨てる。或いは始めから眼中にない。
自分でもなんて乱暴なカテゴライズ・レッテル貼りだと思いますが、メディアに取り上げられるそういった人種は不思議なくらいことごとくいけすかない、鼻持ちならない野郎どもであります。ホリエモンとかね。彼は今やIT長者と言っていいかどうか分かりませんが、どうしてこんな子になっちゃったんだっていう…。

一方で僕はそういったIT長者の鼻持ちならない野郎どもが創造した様々な便利なものを確実に享受しているわけです。Facebookはやっていませんが、便利だ便利だと言って日々ネット生活を楽しんでいる時点で、彼らの事を悪く言う筋合いはない。でも嫌いなんだよぉぉぉぉ!

そんなアンビバレンツに悶え苦しんでいる僕がこの映画をどう見るか。「わぁ!なんてイヤなヤツなんだ!」ってキャッキャ言う自分を想像していたわけです。

確かに自分を振った女の子への腹いせに、その娘の悪口をブログに書いたり、学内全ての女子の写真を入手し「どっちがかわいいか」投票させるサイトを立ち上げたり、Facebookに繋がるアイデアを盗んだり、会社成長の過程でずっと一緒にやってきた親友を騙し討ちのように切り捨てたりと、キャッキャ言える要素はたくさんありました。

しかし、ザッカーバーグがこっぴどく嫌われた元彼女に自分が作り上げたFacebookを通して友人申請のメールを送り、PCの更新ボタンをひたすら押しながら返事を待つ姿をカメラがとらえるに至り、僕はこのいけすかない、鼻持ちならない野郎に共感してしまったのです!
彼と彼が作り上げたFacebookは全世界を制覇した現代の全知全能の神です。Facebookには世界が内包されており、世界はFacebookに凝縮されている。
彼は彼女への愛憎を駆動装置にしてFacebookを作り上げた。彼女をギャフンと言わせ、自分の正しさを認めさせたかった。結果、その彼女もなんの屈託もなく(少なくとも劇中で屈託は描かれていない)Facebookを楽しむくらい、世界はFacebookに満たされた。
人と人が繋がる事を今までより一段も二段も容易にしたFacebookとそれを作り上げたザッカーバーグ。だけれど、当のザッカーバーグは満たされることがない。神の塔の上でザッカーバーグは孤独だ。その姿は新時代の神であるという点を除けば、僕と同じである。どっかのボンクラ学生と同じである。満員電車で見た不機嫌なサラリーマンと同じである。全ての満たされない魂と寸分違わぬ姿がこのシーンには立ち上がっていて、僕はザッカーバーグが愛おしくなってしまったのだ!

思えばこの作品に出てくる登場人物はどいつもこいつも空虚な人間ばかりです。いくらパーティーを繰り返しても、金を稼いでも、Facebookで繋がった気になっても、それによって幸せになったように描かれる人間は一人もいない。
どいつもこいつも自己愛に絡めとられ、自分の存在証明、ステータスアップに明け暮れるばかりで、他者との繋がりは希薄だ。
それはこうして映画の感想をブログにシコシコ書いている僕の姿に見事に重なる(パーティーの部分、金の部分以外は)。
せっかくキャッキャ言おうと思ってたのに、まさかこんな痛い思いをするとは!!

で、そんな人間ばかりが出てくる中でエドゥアルドのPCブチ壊しシーンはグッときたなぁ!あれは空虚に満たされた世界に響き渡った人間の魂の叫びですよ!エドゥアルドからザッカーバーグへの悲しいラブレターなんです!「おまえの事がこんなに好きなのに!」「なんでおまえは!」っていう。最近の映画の中でも屈指の切ないシーンですね。

すれ違いながらそれぞれの人生を行く若者たち。そういう意味では青春映画としても名作であり、できればもう一度劇場で観たいと思います!




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2011年01月10日

鋼の車輪に身を焦がして。アンストッパブル

『アンストッパブル』観ました。
(ユナイテッドシネマ入間)

まぁストーリー自体は昔からおなじみの暴走列車もので。
それに壊れた家族モノと、反目しながらも力を合わせていくというバディーモノという要素を加えた作品でした。

まず始めにどうしても言いたい事があるんだけど、
あの「手ぶれ」を駆使したカメラワーク。
あれ必要????

一応断っておきますが、僕は手持ちカメラで画面が揺れたりするのは決して嫌いじゃないです。
臨場感を煽るのに効果的って面は確かにあると思うし。
でもこの作品に関しては「???」でした。
例えばクリス・パイン演じる主人公ウィルが
初めてデンゼル・ワシントン演じるベテラン機関士フランクに会う場面。
フランクがベテラン仲間と一緒に朝のコーヒーすすってるところに
ウィルが挨拶に行くんですけど
まぁ一応挨拶はしながらも「どんなヤツなんだ」的にちょいちょいっと探りを入れたりする訳ですよ、二人は。
(同時にこのシーンは観客に対して二人の人となりを紹介する役割も担っている訳です)
要はファーストコンタクトです。何かが起こる前の、物語が本格的に動き出す前の静かなシークエンスなわけですよ。

ところがカメラがそんな情景をどうとらえているかというと
突然グラグラ揺れるわ、かと思えばグィン、グィンとズームイン/アウトを繰り返すわ、
そのうえカットも細かく割ってるわけです。
例えば後半の列車を止めるために奮闘する二人を描く場面であれば
そういう手法も効果的だと思います。

でもこのファーストコンタクトのシーンにはいらない演出ですよ、あきらかに。
場面と手法が合っていない。

前半の他のシーンでも同様で常に画面が揺れてる印象で
これがもう気になって気になって…。

あとなんか電車の管理、色々と杜撰すぎない?
「実際にあった事件に着想を得て…」とあったので
ほんとにこんななの??とビックリでしたよ。
まぁどこからどこまでが完全なフィクションで…というのは分からないけれども。
それに実際に事故が起こる時は、
得てしてこういう「ま、オッケーっしょ」という安易な判断が積み重なって
それが重大な事故に繋がるというのは確かにあるのでしょうが。

と文句は色々とあるのですが、
とは言え、後半はみるみるスクリーンに引き込まれて
思わず手に汗握っちゃいましたよ!
特に二人が会社の重役に揃って歯向かった時、
それがカッコ良くてねぇ、「よっしゃぁぁぁ!」と握りこぶしですよ!
また主役二人がいい顔するんですよ。
「オマエもなかなかやるじゃねぇか。だがこの道、地獄だぞ」
「ハッ、ここまでくりゃ地獄も糞もあるかよ。いくぜ”相棒”」
って顔するんですよ!!最高〜!

でね、あれだけ反目しあってた二人が徐々に心を重ね合わせていく過程で、
壊れた家族というもう一つの重要な柱がきっちりその機能を果たしてるんです!
また「生意気な若造」と「もはや去り行くしかない初老の男」という設定が、
ここで感動的なまでに美しく機能してたりもして
これが脚本の力だなぁとつくづく思いました。

というわけで、時間がある方は劇場で観ても決して損ではないと思いますよ!






posted by キョー at 20:44 | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月06日

革命前夜のヒックとドラゴン!

見逃していた『ヒックとドラゴン』を観ました!
(ブルーレイ鑑賞)

いや、最近ピクサーの『WALL-E』を初めて観て
「ごめんピクサーナメてた!」と泣きながら土下座したばかりなのですが
ごめん!ドリームワークスナメてた!
ていうか、アメリカの3DCGアニメ全般を僕は完っ全にナメてました!

なんという完成度!
なんという美しさ!
あらゆる人間、化け物(ドラゴン)、自然物、人工物まで含めて
そこにあるとしか思えないほどに現実感を伴って描かれています。

多くの人が言及しているように
これは劇場で3Dで観るべきだった!
特にやはり飛行シーンは全ての男子の夢が具現化されたかのように
激しくエキサイティング!
2Dで観てもこれくらい興奮するんだから3Dで観たらどんだけ凄かったんだろう!

あとトゥースがね、可愛すぎる!
ネコ好きの僕としてはたまらんものがありましたね。

脚本の方は
まぁどうしようもないボンクラ野郎が意外な力を発揮して共同体を救うという、
王道的な英雄譚ではあるわけです。

あるわけですが、そこに現代のアメリカ・自称「世界の警察」国家としてのアメリカの欺瞞がはっきりと描かれているのが凄いと思った。
最初は「悪の存在」「自分たちの生活を脅かす存在」としてのドラゴンをきっちりと描き、
しかしヒックとトゥースが次第に心を通わせる過程で
「ドラゴンも人間を怖がっている」というシーンを描き、
どちらが悪かではなく、ドラゴンも人間も意外と変わらないじゃないかという所まで描写する。
だからこそ、ヒックとトゥースが初めて心を通わせるシーンで、
ヒックが少しずつ様々なガードを外し、トゥースに近づいて行く場面は感動的なのだ!
盾も刀も捨てて初めて相手と心が通じる。
これは明らかに現代アメリカの風刺である。
更に親父の「仲間がドラゴンに何百人も殺されてるんだ!」という言葉に
ヒックは「人間だってドラゴンを何千匹も殺してるじゃないか」と反論する。
一応は子ども向けアニメであるにも関わらず
ここまであからさまに「正義」としてのアメリカの欺瞞を盛り込むとは!
恐るべし!である。

であるのだが、ここからが引っかかるところであります。
そういう描写のあと、ドラゴンにも悪い親玉がいてそいつをやっつけるという流れになるのですが、
これがどうにも納得がいかない。
散々アメリカの欺瞞を描いた(としか僕には思えない)にも関わらず、
よっしゃ、悪い奴をやっつけるで〜という流れに回収するって
それって結局アメリカの戦争を正当化してないですか??
イラクに乗り込んでって悪い奴=サダム・フセインをやっつけたのは、
まぁ色々反省すべき点も確かにあったかもしれないけど、でもやっぱ殺るしかなかったよねと言ってるしか思えない!
でもそうとしか思えないのはきっと僕がつまらない人間だからなんです!
もうそんな事気にしないで楽しめばいいのに!俺!
だってホント完璧な娯楽作品なんですから。
素晴らしい傑作ですよ!

だけどやっぱり引っかかるので
ちょっと考え方を変えてみました。
あのラスボスは世界的大企業とかとにかく超お金を持ってるヤツです。
で、その下僕たるドラゴンはラスボスのために汗水垂らして、命の危険を冒してまでせっせと働く。時には理不尽な扱いを受けクビ(=Fired。その通りラスボスの口から吐かれた炎で命を落とすドラゴンもいる)を宣告されるドラゴンまで出てくる。
だけどドラゴンが真面目に働けば働くほど、一方では人間の利益が奪われてしまう。
北の最果ての絶海の孤島である。
ただでさえ利益は少ないのに、それを奪っていくドラゴンを憎む人間。
途端に持たざるモノ同士が憎み合うという現代社会の構図そのものが『ヒックとドラゴン』という物語に浮かび上がってくる!
その2者が手を組み、システムをぶち壊す!
そうだ!これは革命の物語なのである!

よし!これなら僕も気持ちよくヒックとドラゴンの世界に浸れます!

ていうかね、そんな事抜きにしてこの作品は3DCGアニメの大傑作ですから
まだ未見の方は是非是非観て下さい!
posted by キョー at 23:36 | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月03日

血と涙と笑いの大傑作キックアス!

以前から気になっていた&大評判のキックアスを観に行きました!
(シネセゾン渋谷)

まぁその評判の高さは各所で見聞きしており、
これは是非観に行かねばなるまいと思ってはいましたが、
何しろ近所のシネコンではやっていない。
車で20分の所にあるシネコンも、40分のシネコンも、
1時間のシネコンも、ひとっつもやっていない!
埼玉ではどこでやってるのかと調べたら三郷だけヒット!
三郷ってどこらへんだっけと調べたら
なんだよ千葉のほうじゃねぇか!!
ウチとは真反対に位置しており、車で行くのも電車で行くのも超不便!
つうか1カ所ってなに?
そのくせヤマトとかトロンとかイナズマイレブンとかは全部やってるんだぜ。
そんでこんだけ評判の高いキックアスをひとっつもやってないってなに??
だからDA埼玉なんだよっっっ!!!

って田舎もんのやり場のない鬱屈を溜め込んでいたら
こんな事情があったのね→http://togetter.com/li/65535

で渋谷もそんな遠いわけじゃないけど30後半にもなるとわざわざあそこまで出て行くのもキツいな〜って感じも出てくるわけで
どうしよう、拡大公開になるまで待つかな〜って思ってたんだけど、
じゃ今年の映画初めは何にするんだってなった時
やっぱキックアスしかないでしょ!と当然そうなるよ!
で正月ボケの身体にむち打って早起きして行ってきました!

で絶賛系の評判も当然聞いてたし
でも地元周辺ではどこもやってないという飢餓感も加わり
ハードルは相当上がってたわけですよ。
こういう時って大抵アレ?って感じになる事が多い。
インセプションが僕的に全然ダメだったっていうのは
そういうことばかりが理由じゃないけど
そういう面も少し影響していたかもしれない。
そんな不安もありつつも
結論、どうだったかっていうと

素晴らしかった!!

年の初めから生涯ベスト級でした!!

いやもう「ハードル?なにそれ?」って感じですよ。
もうヒットガールちゃんがねぇ〜。
ヒットガールちゃんがな〜。
(以下ヒットガールちゃんに関するキモイ記述が多くなります)
ヒットガールちゃんがなぎなたブンブン振り回しながらハードルなぎ倒しつつこっちに向かってきた感じ?
ヒットガールちゃんの可愛さは予告編等で既に確認済みで
鑑賞前の時点でかなりヤラレてて
劇場でもヒットガールちゃんをなるべく全身で受け止めるべく
席もかなり最前列に近い位置を確保しておいたわけです。

で映画中盤ヒットガールちゃんが初めてあの格好で颯爽と現れた瞬間、
僕、泣きました。
いやもうわかんない。
なんで自分が涙をながしているのかさっぱりわからないんですが、
とにかく多幸感で満たされたというか。
なんかスクリーンの中のヒットガールちゃんがメチャクチャ輝いて見えたというか。
ボロボロ涙がこぼれちゃって
これを好きな女子に見られたら一発でアウトだよってくらい号泣でした!

勘違いされると困るので断っておきますが
僕ロリコンじゃないです。
ていうか、この「ヒットガールちゃんさいこう!でもロリコンじゃないです」っていう流れ、
キックアス関連のブログやtwitterではもはや定型文になりつつあって
微笑ましいというか、もはや言い訳としては通用しなくなりつつあるよね!!
でも僕は断じてロリコンじゃないんです!!

いやでもほんとヒットガールちゃんさいこうFuuu〜ていう気分は
キックアスを観た多くの人が共有してるものでしょう。
いやもうこのキャラクターは映画史に残る発明ですよ!
可愛すぎる!!
で可愛いくせに人を殺しまくる!!
でシド・ビシャスみたいな口するのな!
そこがまた可愛い〜!
フィギュアほしい!ポスターほしい!
あぁぁ!ヒットガールちゃんに関するものならなんでもいいからほしい!!

かなりキモい文章になっておりますが…
で、内容自体も所謂おバカコメディという面よりも
戦闘シーンはかなりハードで(わりとポップな見せ方にはなっていますが)
いろんなもんが切れたり、
血が飛び散ったり、
アクション自体も素晴らしくキレてて
まず笑いをというよりも本気の画面作りを忘れていないところが好感持てます。
ヒーローは人を傷つけるという側面をきっちりと観客に見せつける。
あんなに可愛いヒットガールちゃんも
父ビッグダディ(ニコラス・ケイジ:彼がまた素晴らしい!)から「どうかしてる!」というような育てられ方をしていて、
「スカッと爽やか人斬り少女」という脳天気な側面だけでなく
どこか憂いが漂っている演出をきちんとしている。

だからこそこの作品には本物の興奮があるし、涙があるし、笑いがあるんだと思います。
(笑っていいんだかなんなんだか戸惑うような場面も多かったですがw)

ひっかかる部分がないわけではないんです。
ラストの主人公キックアスの行動に対するオトシマエというかね。
彼は正義のヒーローに憧れてたわけですが、
ラストでヒーローが決して避けては通れないものを遂に背負ってしまった。
「普通の人」ではなくなってしまった。
そこからの描写が彼女とチューじゃ納得いかねぇよ!!っていうね。
ヒーローってカッコいい〜って部分だけを描いた作品ではないからこそ
そこは引っかかりました。
続編で描かれるのかな。

でもね、そんな不満点もあるにも関わらず
それでもこの作品は間違いなく映画史に残る大傑作だと思います!

細々とした不満もね、ヒットガールちゃんがいれば
オールオッケーです!










posted by キョー at 22:07 | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月16日

Crossing Borders

『フローズンリバー』鑑賞。

こういうのを「映画」って言うんじゃないですかね?
オープニングのカットひとつで主人公の女性の来歴を饒舌に語り、ラストで、それまで壊れて動かなかった、古びた回転木馬を動き出させる事で何かが動き出した事を象徴させる。

いわゆる「ホワイトトラッシュ」「レッドネック」などと言われる白人貧困層。それとマイノリティとしての先住民族。そこにシングルマザーという問題も絡み、まるで出口の見えない二人の女性の生活。
二人がそれぞれ子どもたちと住む家は、当然オンボロのトレーラーハウス。
白人女性のレイは日々をなんとかしのぐ為、また待望の新居を手に入れるために1ドルショップで働くが、夫が金を持って失踪。
少数民族の女性ライラもやはり日々をしのぐ為、また、夫を亡くし、義理の母に奪われた息子の元に金を送る為に働くが、それでは足りず、密入国を助けるという犯罪に手を染めていた。
やがてレイもライラと共に犯罪行為に浸かってゆく。

このあたりの描写はひたすら息苦しく、なんとか生きてゆく為に犯罪に手を出してもこりゃ仕方ないと思ってしまうほど。
それほどに二人からは明日が見えない。
レイは確かに新居を手に入れたいのだが、途中映し出される住宅パンフで「夢の生活」というようなキャッチコピーが施されたその家もまたトレーラーハウスなのだ…。

アメリカとカナダの国境を流れる川。凍てついたその川の上を車で行き来しながら密入国の手助けをする二人。
あやうい綱渡りの上でようやく成立するそれぞれの生活。

やがて氷が音を立てて割れ、車を呑み込んだとき、二人の凍てついた心も溶け、わずかな希望の光が差し込みます。
それは何も二人の経済的な問題が解決したとかそういう事ではない。苦しい生活はこれからも続く。
それでも二人の心を溶かしたのは、人と触れ合うことの温もりではなかったか。
こう書くとありがちな陳腐な結末と思われるでしょうが、それほど二人は孤立し、孤独だったのだ。
そしてそれは現代の日本人にとっても決して他人事ではないでしょう。
違法に国境を越えていた二人は、やがて人種を超え、それぞれが抱える事情を超え、孤立を超えていった…。
傑作です。

posted by キョー at 01:09 | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月11日

Dream on

至る所で絶賛されている『インセプション』観て来ました。

感想はというと、もうこれはねぇ、僕が睡眠不足で観に行ったのがそもそも悪かったのか、なにしろ乗れませんでした!

まず、そもそもの夢に侵入するとか共有するとか、植え付けるとか、そういうそもそものシステム・世界観がまったく頭に入ってこない!

そこに色々と細々としたルールがあって、そういうのが説明される度に「あ〜」「う〜」と頭の中で整理しようと思うんだけど、あ〜もう面倒くせぇ〜と最初から躓いてしまいました…。

でも、この時点ではまだ起きてた。

その後、設計士の普通の女子大生が違法行為、危険な行為に手を染めようと決意するのにあまりに葛藤がなさ過ぎじゃん?とか、渡辺謙演じる大企業のトップがターゲットであるライバル企業の御曹司
と飛行機の機内で接近遭遇する場面があるんだけど、ターゲットが同じ業界内のライバルの顔を知らない(気づかない)なんて事があるんだろうか?夢に侵入されるのを阻止するために、あれだけの防御線を張っているんだから、余計に顔を知らない(気づかない)事が不自然に感じるよね、とか色々と引っかかる所があって…。

でも、ホント寝不足だったんです。確かに起きてはいたけど、相当ウトウトしていたのも事実なので、もしかしたらかなり的外れな事、勘違いを書いていたら本当に申し訳ない。

ただこういう引っかかりを積み重ねる事によって、僕はいよいよ本格的な睡魔に引きずり込まれ、ハッと目が覚めること十数回。
ここで今度はいくら目が覚めても、睡眠に陥る前からたいして話しや場面が展開していないように思えるという新たな問題が発生。

こういう時の睡眠は、自分が思っているより時間の経過が遅い(おー、リアルインセプション!)訳だけど、それにしたって何度起きても、同じような場面が延々と続いているという現実に僕の精神は消耗。
自分が馴染めない世界で、自分が理解できないルールで、登場人物たちがあーでもない、こーでもないとウダウダやってる姿を見る時、人は「どーでもいいわ!」と椅子を蹴りたくなる衝動にかられる訳ですが、この時の僕はまさにそうで、睡魔とイライラで大変な状況。「早く終わってくんねぇかなぁ」と眠たい頭で呪詛を吐く始末。
始まる前から長いのは分かっていたけれど、こんなに長くしなきゃならない話しかねと、まぁでも寝てた奴の言うことじゃないですね…。

でもやっぱり寝不足で行ったのが最大の過ちだったのかもしれません。
だからと言って、じゃあ今度は万全のコンディションで…!とは今のところ思えない訳ですが、それでもいつかはちゃんと見直さないといけないのかもしれません。


posted by キョー at 21:54 | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月25日

告白記念日

というわけで、今日はワールドカップの為に有給を取っていたので、
日本代表が決勝トーナメント進出を決めた後、
そのまま寝ずに映画を観に行きました。

その映画とは中島哲也監督の『告白』。
娘を殺された教師の復讐譚なわけですが、
これが本当に凄い映画でした。

序盤、中学生の「糞ガキ」っぷり、自分一人じゃ何もできないくせに、
集団になった途端に無敵状態、
冷笑的で、でも同調的で、
狭い教室内に暴発寸前のエネルギーが充満しまくる様をこれでもかと見せつける。
そこにただ一人の大人である松たか子の冷温的な、しかしあまりに衝撃的な「告白」がかぶさる訳だが、
この時点では、中学生の姿はただただ「クソ」であり、
「とんでもない奴ら」であり、
松たか子の「告白」により、徐々に驚愕と焦りの色を濃くする糞ガキどもに対して「ざまぁ」という気持ちが沸き上がるのを抑えられない。

しかしその後、そんな「糞ガキども」の側にも、それぞれのドラマ(たとえそれが幼いものだとしても)がある事が描かれ、
その後も、登場人物たちの「告白」によって、複数のドラマが描かれるわけだが、
そんなドラマや想いが、ことごとくすれ違い、或いは衝突し、
その度に頭を鈍器で叩かれたと思ったら、下から顎を蹴り上げられる、
右頬を殴られたと思ったら、今度は左頬を…といった具合に
感情が揺さぶり続けられる2時間でした。

安易な「泣ける映画」が量産され、
実際、その類いの作品が多くの観客を集めている日本の映画状況において、
『告白』という、相当にえげつない作品が、
東宝配給で、大企業がスポンサーとして名を連ねる中で、『下妻物語』『嫌われ松子の一生』という作品でメジャーフィールドで活躍する中島哲也監督によって作られ、公開され、かなりの観客を集めているという事実は、作品内容同様に衝撃的で、画期的な出来事ではないでしょうか。
今後の日本映画の流れを変えるんじゃないかと期待せずにはいられません。

ていうか、『ルーキーズ』とか『恋空』とか『余命一ヶ月の花嫁』とか『ごくせん』とか『20世紀少年』とか『矢島美容室』とか『踊る大走査線』とかいう映画を作った監督や関係者は、『告白』を観て土下座しなきゃいけないんじゃないか?
そんで潔く映画の世界から身を引かなきゃいけないと思う。
この作品を真面目に観たら恥ずかしくてもう映画なんか撮れないはずだよ。
自分が撮ってたのは何だったんだって思うはずだよ。

中島哲也が涙もろい世間と現在のヌルい邦画界に叩き付けた「映画監督としての証明」。
それが『告白』だ!









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2010年03月02日

You'll Never Walk Alone

今や誰もが認めるトップ映画クリエイターとなったクリント・イーストウッドの新作『インビクタス~負けざる者たち~』見ました。
見終わったあと、「映画が好きでよかったなぁ」としみじみしてしまうような良作でした。

ラグビーを題材のひとつにした作品だけれど、決してスポーツムービーではない。それは劇場に来ていた人たちが試合場面について「誰が誰だか分からなくて入り込めなかった…」とぼやいていたり、「みるみるうちに強くなったよね…」と失笑していたりと、そんな反応にも現れているのだが、イーストウッドが中心的に描きたかったのはそこではないのですよ(それにしても凄い「絵」の連続でアガるし、手に汗握るのだが)。

オープニング、金網に挟まれた道を釈放されたマンデラ(モーガン・フリーマン)が車に乗って走り抜ける。片側の金網の中では南アフリカの支配層である白人のラグビーチームがトレーニングしており、もう片側の金網の向こうでは被支配層である黒人の男の子たちがサッカーに興じている。「分断」を象徴するシーンの、その真ん中をマンデラは走って行く。

そしてエンディング、熱狂に包まれた街中をやはりマンデラを乗せた車が行く。白人のスポーツであったはずのラグビーの代表チームの偉業にありとあらゆる人々が喜びを爆発させ、踊り、抱き合う。その中を行くのだが、そんな状況だから車は思うように進まない。渋滞を回避し、安全を確保するため回り道をしようとするSPにマンデラは言う。「ゆっくり行こう。急いでない」。そしてにこやかな満足そうな視線を群衆に向けるのだ(これ、ネタバレっちゃあネタバレだけど、この映画はそういう映画じゃないのでいいよね)。これである。この冒頭と最後のふたつのシーンがこの映画を象徴しているのです。

それまでの道のりも、これらのシーン・台詞に全て凝縮されている。この映画は、ラグビー南アフリカ代表がいかに厳しいトレーニングを積んで偉業を達成したかというお話ではなく、人々が長く分断された土地で、(たとえそれが一時的であるにせよ)ある一人の男の想いが、いかに広がっていったか、大統領邸宅のドアを開け、門をくぐり、角を曲がり、狭い路地を抜け、大通りを越え、平原の風に乗って、南アフリカ全土にいかに伝わって行ったかという映画なのだ。近道なんかしない、ゆっくりと、だからこそ力強く、ある時点からそれが怒濤の勢いとなって南アフリカを覆ってゆく。その着地点がこのラストシーンなのだ。
いや、素晴らしい作品でした。映画史に間違いなく残る傑作『グラントリノ』の次にこんなに高品質な作品を撮れるんだもんなぁ。
イーストウッド、まさに映画の神に愛された男ですな!



posted by キョー at 19:11 | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月04日

MOTHER

映画『母なる証明』を観てきました。
ポン・ジュノ監督、またまた映画史に残る名作を作ってしまいました!

正直、最初予告編を観た時は、そのタイトルからして
「ポン・ジュノも母親モノか〜、感動路線か〜」と思ったものです。
しかし、やはりポン・ジュノ監督作を外すことはできるはずもなく、
何より、画面から伝わってくる不穏な空気が、
この映画が単なる「感動モノ」とは一線も二線も画していることを如実に伝えていて
不安を抱えながらも劇場に足を運んだわけですが、
いやー、ポン・ジュノ、やっぱり間違いないっす!

ストーリーをざっくり説明すると、ある町で起きた殺人事件、
その容疑者として逮捕された障害を持つ息子の無罪を晴らすべく奔走する母親の姿を描いた作品といったところですが、
ストーリーが進むにつれて(これは『殺人の追憶』でも見られたけど)
登場人物の仮面がベリベリと剥がされてゆく訳です。
誰もが光も闇もその中に抱えていることは当然ではあるけれど、
「母子愛」をひとつの大きなテーマに持ってきたこのような作品でそれをやっちゃうのが
ポン・ジュノのえげつなさであり、
全てを忘れて踊り狂うショットを撮ってしまうところなどは、
それが果たして人間に対する「慈愛」から来るものなのか、
それとも「悪意」(締念)から来るものなのか計り切れないところがあり、
それがポン・ジュノとこの作品の底知れなさをさらに強調する。
ポン・ジュノそのものがサスペンスだよ!w

「闇」と「底知れなさ」と言えば、
この作品における「闇」の描き方がまたすごく怖かった。
思わず目を背けたくなるような「闇」の恐怖。
だが、その底知れない「闇」の中で蠢いているのはオバケの類いではない。
人間が蠢いているのだ!

そんな人間の蠢きがどのようなドラマを紡いでいくのか。
それはぜひ劇場で見届けてください!

あ、それとこの作品はあのウォンビンの復帰作ということで、
劇場にも韓流オバさまと思われる方々が大勢いらっしゃってました。
彼女たちがこの作品をどう観たか、
いわゆる「韓流ドラマ」とは全くベクトルの違う作品であり、
そこはとても興味があります。
世間では「韓流(笑)」という空気があるのも事実です。
僕自身もいわゆる「韓流ドラマ」「韓流スター」にはまったく興味がありません。
正直「韓流(笑)」の側です。
でも、この作品でのウォンビンの演技を観て
僕は自分の不明を恥じています。
僕らには「韓流」を笑う資格はない。
ウォンビンと同世代の日本人俳優で、これほどの演技ができる人がどれだけいるか。
ちょっと思い浮かびませんよ。
参ったね。




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2009年06月06日

スターゲイザー

スタートレックを観てきました。
ちなみにスタートレック初体験。
事前の予備知識など欠片もありません。
スポックくらいしか知りません。
そんな感じでスタートレックについてはド素人という事をまずは解ってもらった上で。

なにしろモノ凄いスピード感と派手派手なシーンで物語は展開していく。
でも決して付いていけないという事もなく。
不適で大胆なカーク。
聡明で繊細なスポックという主役2人の対比も面白い。
脇を固める登場人物もそれぞれキャラが立っている。
非常に解りやすい。
スタートレック特有の深さというか、
登場人物が議論しながら冒険や戦いをすすめていくという点は
正直ピンと来なかったが
SF冒険活劇として見れば十分楽しめる。

そんな感じで楽しみながら観ていたんだけど、
あのラストが…。
アフター9.11というか、
9.11や、それに直接伴う世界情勢が
未だ現在進行形である今、
あのラストはあまりにノーテンキなんじゃないかと感じざるを得ない。
これが監督のメッセージなんだとしたら、
僕はこの映画をとても愛することができない。
辛気くせーこと言ってないで、冒険活劇なんだから割り切って見りゃいいじゃん、て向きには十分オススメできるんですけどね。

さて、W杯最終予選でも観ますか。
posted by キョー at 23:34 | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月23日

Joker

『ダークナイト』

「正義」と「悪」の反転、あるいは調和という重いテーマと
息をつかせぬ物語の展開、
それにエンタテイメント性を完璧なまでに並び立たせた類い稀なる傑作。
ここ数年間、ハリウッドはまさに死に体。
醜い断末魔の声を上げ続けていたわけだが、
いやいや、『ダークナイト』はその腐臭の向こう側から正に「暗黒の騎士」のごとく姿を現した「怪物」だ。
その「怪物」に僕は2時間30分もの間、
翻弄され、嬲られ、いたぶられ、圧倒され、
そして、闇がもっとも深いという夜明け前の街に置き去りにされてしまった。

はっきり言ってスッキリしないラストだ。
はっきりした答えが欲しい坊っちゃん、淑女の方々のご期待には沿わないかもしれない。
それでもそんな価値観を変え得る映画があるとすれば、
『ダークナイト』はうってつけだ。
なんたって映画史上に残る傑作はだいたいスッキリしないって相場は決まってるんだから。
キューブリックの『2001年宇宙の旅』しかり『時計じかけのオレンジ』しかり、コッポラの『地獄の黙示録』しかり(『ゴッドファーザー』は奇跡的にこの例には入らない)、黒沢清の『CURE』しかり、アンドリュー・ラウの『インファナル・アフェア』しかり、しかり、しかり…。
いや、映画史上は言い過ぎで、単に僕が好きな映画ってだけなんだけどね。
でも、そんな過去に見た大好きな映画たちと思わず並べたくなる。
おまけにこの『ダークナイト』はそれらの映画を凌駕するほどのエンタテイメント性に満ち満ちているんだから…。

惜しむらくは、これを書いている今日現在、すでに上映館が非常に少なくなっているってこと。
でも頑張って探して見に行く価値は十分にあります。
1800円なんて安い!って思える数少ない映画。
っていうか、1800円払った事すら忘れられるくらい
それくらいの大傑作です。
ラベル:ダークナイト
posted by キョー at 23:38 | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月06日

My Way

映画『靖国』上映問題に関して
そのスジでは有名な「お玉おばさんでもわかる政治のお話」さんがエントリをあげている。
さらにこちら
名古屋シネマテークが『靖国』上映延期をするまでの経緯がこれではっきりした。
圧力はやっぱりあったのだ。
しかし、単なる「右翼団体」ではなく、
まさか日本会議までが直接関与しているとはね…。
日本会議に関してはこちら
あの稲田朋美もメンバーに名を連ねている。

シネマテークに「交渉」しに行った日本会議の「憂国の士」(笑い)は、「日本人の感性を問おうとした…」などと言っているが、
「日本人の感性」って何かね…?僕には僕の感性があるだけだ。
「日本人の魂の根幹」って何かね…?
僕には僕の魂があるだけだ。魂の根幹を靖国に置くつもりは毛頭ないし、戦死した僕の先祖が靖国に祀られているなどと思った事も生まれてこのかた一度もない。
この人たちは何かと言えば「日本人の」「日本人の」と連呼して、「十人十色」であるはずの僕たちを十把一絡げに扱おうとするが、僕は僕の感性や魂をあなた方に預けたおぼえはない。あなたたちの思想・信条に僕の感性や魂を絡めとられる筋合いはない。断固拒否するし、それがあなたたちの言う「非国民」的態度であるならば、どうぞご自由に「非国民」と呼んでもらって構わない。僕は日本人である前に僕なのだ。

僕は僕が見たい映画を見るし、好きだと思う映画を好きになる。
日本会議や右翼団体がやっている事は、恫喝による思想/表現統制そのものである。きっと彼らは北朝鮮や中国の夢を見ているのだろう。

そんな中、全国各地で『靖国』上映の輪が広がっている。

「靖国」21館で上映と発表

 上映中止が相次いだドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」について、配給元のアルゴ・ピクチャーズは4日夜、東京を含む北海道から沖縄までの全国21館で5月以降に順次公開すると発表した。

 北海道苫小牧市のミニ・シアター「シネマ・トーラス」など10数館での上映が4日午前の段階で明らかになっているが、アルゴ・ピクチャーズは上映場所や劇場名、公開時期について「妨害が予想されるため、まだ発表できない」としている。

 上映予定だった4館がすべて中止を決めた東京では、新たに別の1館が上映を申し出たという。アルゴ・ピクチャーズは「なるべく早く詳細をお伝えできるよう調整したい」としている。(共同通信)


各地で立ち昇る自由と反抗の狼煙。
映画人は死なず。
彼らに対するあらゆる妨害を許しちゃいけない。
彼らを守ることは僕たちを守ることだ。


posted by キョー at 09:54 | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月03日

Soul Rebel

骨のある映画館もあったものである。

第七藝術劇場!

http://www.nanagei.com/

映画『靖国YASUKUNI』が甦る!

これこそ「気骨」と言うのだ。
これこそ「凛とした…」と言うのだ。
これこそ「毅然」と言うのだ。

集団による威圧的・排他的・暴力的行為に耽溺しきっている右翼団体/構成員、また「上映中止」という選択をし、自らすすんで「靖国」排斥運動に加担した映画館は
全員、第七藝術劇場関係者の爪の垢を煎じて飲むべし。

http://www.asahi.com/culture/movie/TKY200804020379.html
「靖国」大阪で5月上映 「映画館を議論の場に」

2008年04月03日02時26分

 ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映中止問題で、大阪市淀川区の映画館「第七芸術劇場」が5月に予定通り上映することを決めた。同館は地元商店主らが出資する96席の市民映画館。松村厚支配人は「見たい人がいるなら提供するのが役目。映画館を議論の場にしてほしい」と話している。上映は同月10日から7日間の予定。

 「靖国」は、靖国神社に参拝する戦没者遺族や軍服姿の若者らをナレーションなしで撮影した中国人監督の作品。トラブルや嫌がらせを警戒した大阪、東京の5館が3月末までに相次いで上映中止を決めた。大阪で唯一の上映先となった第七芸術劇場には、中止しないよう求める電話やメールが相次いだという。

 社会派作品を多く扱ってきた松村支配人は「客観的に靖国をとらえている」と作品の感想を話し、「靖国がある東京はもう少し踏ん張ってほしかった」と話している。(asahi.com)








posted by キョー at 20:34 | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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