2009年02月11日

ハイ!チャイナ!

昨日、夕方のニュースを見ていたら
特集みたいな感じで「職務質問のプロ」みたいな警官の事を取り上げているコーナーがありました。
なんでも、職務質問したことから検挙につながった実績を数多く持つお巡りさんらしく、ナントカ賞を十数回受賞しているらしいのです。

パトロールしながら「怪しい」「不審な」人物を瞬時に見つけ出し、速やかに職質していくお巡りさん。

これだけなら「また警察特集か…」としか思わなかったかもしれません。
オウム事件以来「怪しい」「不審な」という言葉がことさら喧伝・流布され、それによって僕たちの社会が失っていったものが確実にあるんじゃないか、と考えてしまう性質なので「あぁ、またか…」と嘆息くらいは吐いたかもしれません。

でも、この番組はそうじゃなかった。

ある若い男が職質を受けた際、画面の下に赤く強調された「中国人」というテロップが出ていたのです。
この番組を見た人の中で、このシーンに違和感を覚えた人はどれだけいたでしょうか。
僕は軽く違和感を覚えたけれども
よっぽど重大な犯罪を犯した人なのかな、「中国人」という出自が大きく関連する犯罪に関わっているのかな、と思い直し番組を見続けました。

ところが、見終わって分かったのは
この若い中国人が他人が落としたパスモを所持していたという事だけ。
確かにこれは違法・軽犯罪です。とてもありふれた…。
しかし、なぜこの若い男が「中国人」であるということを
わざわざ赤いテロップで強調しなければならなかったのか、
結局最後までわからずじまいでした。
(もっと言えば、拾ったパスモを届けないまま所持していただけで、テレビカメラに、もちろんモザイクが入ってはいますが、映され全国放送されるという…)

制作者はどんな思いがあって赤いテロップを使ったのでしょう。
このテロップを入れた時に違和感を覚えた人はテレビ局の中に誰もいなかったのだろうか。
あるいは「思い」など何もなかったのかもしれない。
違和感を覚えるどころか極めて自然な演出であり、目に止まるほどの事ではないのかもしれません。

だとしたら、とても怖い。

こういう日常の何気ない一場面にレイシズム(差別)、不寛容の種は蒔かれているのかもしれません。
posted by キョー at 08:29 | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月02日

I'm not Down

日曜日の教育テレビ「ETV」は作家・辺見庸を取り上げていました。
過去のエントリでも書いたような気がしますが、
辺見庸ノーム・チョムスキーと並んで
今の僕が多大な影響を受けたひとりです。

その辺見庸が珍しくテレビに出演するというのだから
そりゃワクワクするというものです。
いや、ワクワク半分、緊張感半分と言ったほうがいいかな。
まるで「師匠」を前にするような。

動く辺見庸を見てまず思ったのは
「あぁ、生きていてくれたんだ」ということ。
それは改めて強く思いました。
もちろん、生きていることは先刻承知の上だったのですが。

6〜7年前に彼に初めて出会って
彼の著書をそれこそ貪るように読んでいた頃。
彼の怜悧な視線に刺激される一方で
僕はある不安を抱いていました。
「この人、近いうちに死んじゃうんじゃないか」と。
それは、いわゆる「自死」かもしれない。「病死」かもしれない。
いや、はっきりと「自死するんじゃないか」という不安に囚われたのです。
たとえ「病死」であったとしても、病に対して抵抗するでもなく、限りなく「自死」に近い形で、甘い死の淵に沈み込んでしまうのではないかと思ったわけです。

こんな事を言うと、それこそ辺見さんに鼻で笑われるかもしれません。
しかし、その直後、彼が実際に病に倒れたことで不安が現実になったとオロオロしたのは事実です。
(ちなみに彼が病に倒れた事で、彼の講演を聞きに行くチャンスを僕は逃してしまいました)

だから、彼が昨日の番組内で動いているところ、リハビリのために駅の階段を登り下りしているのを見て、僕は無性に嬉しかった。
彼は死んでいない。
それは身体的な意味においても、あるいは心的な意味においてもです。
この絶望的な時代の中でも、彼は「生きていた」。
いや、「生きていてくれた」と言ったほうが僕の実感には近い。
本当に僕の勝手な思い込みからくる感情であり、
辺見さんにとっては甚だ迷惑な話だろうと思いますが…。

脳出血からくる右半身の麻痺のリハビリの為に
階段を登り下りする彼の姿に、たびたび「絶望に慣れることは、絶望そのものよりさらに悪いのである」(カミュ『ペスト』より)という言葉がかぶさる。
実はいくら階段を登り下りしても、彼の右半身は良くならないのですが、毎日繰り返していれば、少なくとも悪くなる事はないらしいのです。
彼は「絶望に慣れる」という事をしない。
今より堕ちていかない為に抗っている。
人によっては「徒労」と思われる毎日の中に、
微かな光を見出し、笑顔さえ見せている。

そしてテレビのモニターの向こうから例の「で、オマエはどうなんだ?」という怜悧な視線をこちらに向ける。

そう、喜んでばかりはいられない。
彼のメッセージを受け止めて、僕は僕の道を行かなくては。
ラベル:辺見庸
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2006年03月23日

私を野球に連れてって

WBC日本代表優勝。

まぁ、昨今のプロ野球人気の低迷っぷりが嘘のようなお祭り騒ぎ。
ま、世界一だしね。
子どもの頃は野球ファンだったけど、
あまりの読売偏重っぷりと
長嶋・王信仰に完全に嫌気がさし、
今では野球興味なしの私。
結局WBCは最後まで観ませんでした。

それにしても、
孤高の天才が祖国の為に孤高である事を捨て
感情を前面に出してチームを引っ張ったとかいうエピソードは
これからの愛国教育にピッタリの材料だね。

まぁこんな事が頭を思わずよぎるのも
「国の為に」とか「国を愛する心」とかいうレトロなフレーズが
やたら声高に叫ばれる世相のせいでしょう。

ま、今回のエントリは悲観主義者・非国民の戯れ言ということで容赦。
posted by キョー at 20:35 | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月21日

野球選手が夢だった

WBC。

なんか盛り上がっている最中にこんなこと言うのもなんですが、
イチロー、こんなキャラだったっけ。
なんかテレビのインタビューとか見てるとすごい演技がかっているような…。
なんかテンション高いとかそういう次元じゃなく、
明らかに不自然に思える。
他の選手と比べると違いが明らか。

どうしちゃったんだろう。

WBC、観てないんですが、
勝敗よりもそんなことばかり気になってしまいます。

すみません。
posted by キョー at 00:07 | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月28日

電撃的東京

東京五輪招致をにらみ、
東京、代々木公園に10万人規模の新スタジアムと
選手村を建設する構想があるそうな。
(yahooニュースより)

1964年の東京五輪以来の大規模な再開発になるとかで、
その額、なんと

1兆円!

おいおい、随分と羽振りのいいこと。
日本には金がないんじゃなかったっけ?
確か永田町のダンディさんが、
そんな事連呼してたような気がするぞ。

どんな錬金術使ってんだw
posted by キョー at 19:46 | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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